ボチボチ小作日記

この日記は フィクションです

君は芸術家にならなかったとしたら神秘家になっただろう。神秘家とは心象を離れられない思想家であって要するに全然思想家ではない。

基本私が書くことは思いつきの垂れ流しである。辻褄は合うとは限らない。

朝から盛大にパンクした。

最近多いんだけど何でしょう?

…てんで18日前の「下書き」を弄ってみる。

白人さんは瞼が薄い。

マリア・マッキーの初来日公演はすでに随分昔の話であった。のだなー。

 確か、you gotta sin to get saved と life is sweet の間だった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AD%E3%83%BC

 

この神経質そうな瞼の動き。

目を瞑って小さな体の中で鐘を打ち鳴らすごとく声を響かせる姿に、ドキドキしたのを覚えている。渋谷のクラブクアトロだったかな。

薄くて、眼球の凹凸が見て取れるような瞼が痙攣したようにヒクついていて、見てはいけないものを見ているような気がしたもんです。ああ、この人、芸術家なんだなぁ~と。

あ、そうそう。最近某舞台を見たときも、なんか見ちゃいけないものを見てるような気がして意味も無く緊張いたしましたが(客なのに)。あれも「芸術家なんだろうなぁ」文芸じゃなく、美術系。矛盾とか脆弱性とか問題にしちゃいけない。・・・。ゲイジュツカって一歩間違うとイタイよね。しょうがない。そういうのは。

マリアちゃんは天使のごとく可愛らしいと同時になんだか情緒の安定しない驕慢な雰囲気も持っていて、見るたびなんだか心配になってしまう感じでしたが、最近は体形もどっしりしてきて、無事安定したおばさんになろうとしているようで一安心。

この不機嫌そうな動画と違い、来日公演時の彼女は、ちゃんと彼女の声を聴きに集まった観客に対して誠実であったが、割とツンデレ。初来日に盛り上がっちゃったのか、男の子の雄叫びがなんだか彼女の繊細な雰囲気にそぐわなくてちょっとイラついた。「マリア様ーー!!」とか、オイこら!って言いたくなるようなシャウトとか、悪気がないのはわかる。が、ああいうのたまに殺意を覚える。

まあいや、通じてないだろうから良いんだけどね。

 

一昔前に、子どもに「どうして人を殺してはいけないか」を「どうやって伝えるか」などといった議論が盛んだった時期があった。それ風の著作を発表された方に質問したことがあるが「親が子どもに恥ずかしくない生き方をしていないからそんな疑問が生まれるんだ」と返答されたんですが、それって私の生き方がマズイってことで?ン?初対面なのに。と思っても言いませんでしたが。それはさておき、時流に乗ったのかその疑問を抱いたらしい息子に、精神科のドクターが答えたセリフは「思うのは自由。やっちゃダメだよ」だった。「思うだけならどれだけ思ってもいいよ。何を思ってもいいんだよ」「でも、やっちゃいけない。絶対に」と。

彼の背後でそれを聞いていて、母も「あ、そっか」と思ったのでした。

 

そして、それって芸術と一緒だな、と。なんでもありで批判するのは的外れ。だって政治家の選挙公約じゃないんだもん。「思うだけなら自由」の部分を表現しちゃうのが芸術だから、鑑賞する側の要望に応えるためのものじゃない。だからそれじゃあ食えないってのが普通。万人に受け入れられるワケがない。お金を払うから批判してもいい、ってのも間違い。批判する権利はない。お金を出さなければいいだけの話。つくる方もお金や評価が欲しかったら、要望を容れたものを作って芸術じゃなくて商業作品にすればいい。クオリティが高いのが芸術とは限らない。受け手のカタルシスと出し手のカタルシスは違って当たり前。だから作品批判とか芸風批判とか無意味じゃん?なんて言っちゃうと見も蓋も無ス。

切磋琢磨も大事だけれども。でも「芸術」というなら流されちゃってたら「違うんで無いの?」とも言われそうだ。

 

アート、流行りかも知れないけど、ほぼ、自分の感覚からはズレる。また別の、お洒落な商業ムーブメント。日々を充実させる良い事だけど。積極的な興味の対象ではない。あんまりおしゃれなのって、・・・単純に苦手なのかも。

芸術はだから、病気の一種で、お洒落でも健全でもなくて良いんだと思うのです。だから売れなくても仕方ない。売れたら、というか、共感して買ってくれる購買者が現われたらラッキーって事で。

 

 

 

タイトルはヘッセのパクリと。

タイヤまだかなぁ…。