ボチボチ小作日記

この日記は フィクションです

桜と提灯

今週のお題「お花見」

 

記事管理の記事を選択する画面でUP済みのものと下書き保存されているものがタブで選択出来るようになっていた。そしたら携帯からは下書き記事はいじれなくなっていて、コレはスマホでも使い易く、とか言っててどーよ?とちょっとタチの悪いおばさん客状態でブブタレてます。

iPhoneアプリiPadで使用していると、書くオンリーでお気に入りとか読めないし、だいたい縦画面でしか使えない。横画面にならないのが不満。Bluetoothキーボードを使用してiPadを操作しているので、縦に立てとかないとならないって結構キツイんですけども。

とか面倒くさい理由がなんとなく「書く」という行動を遠のかせているような、それより周期的に書く気にならない時期なような。

食欲性欲もなくてなんか自分ぽく無いなー。曲がり角かしらね。お肌の曲がり角はとうの昔に過ぎ去って既に忘却の彼方だけれども。自分にいろんな欲が無くなりさえすれば、どんだけ楽な人生だと思っていた時期も、結構在った気がするけれども。なんで自分は、とかなんで自分が、とか、自分自分言ってないと居られない自分の扱い難さよ。ってのがホームポジションなはずなんだけども。(爆)

 

近所の公園に紅白提灯がぶら下がって、ああ、もう桜かい。そういえばブログも花の写真が沢山。皆さん、撮れたての今年の桜をUPされてるってことか。リアルタイムなのか。当たり前か。あらきれー、といっぱい見させていただいていておいて、イマイチ現実味が無かった。あんまり綺麗で。絵ハガキとかテレビ画面みたいで。

公園の提灯は、正直ちょっと、イヤかなり、下品じゃないかと毎年思っていた。公園に限らず、この辺りで桜を観るに適した場所は、かなりな頻度で「提灯付き」である。楽しく演出して気分を盛り上げて、お客さんを寄せて、という目的なのか、地元の内輪だけの無礼講宣言なのか知らないが、いかにも酒盛り仕様。桜の景色を酔っ払い祭り演出して、絶対に桜をランクダウンさせてしまっている。この地域に越してきて最初にこの光景を見た時には軽く吐き気を催した。子供の入学式写真では、提灯をPhotoshopで消して知人への挨拶ハガキを作った。

 

しかしもう桜かい。なんて言っている今年の自分は、何だかその下品な光景になんとは無しに郷愁を覚えている。夜通りかかるその夜桜風景の、主役は桜では無くて提灯の方だ。だだっ広い田舎の公園、もしくはど田舎の川の土手っ淵にデカデカと枝を拡げる青白い桜の列を数珠のように繋げて続く提灯。たまにしかいない花見客。花の白さと提灯の灯りの背景には黒々とした田舎の夜が広がっている。

真っ黒な夜に対抗するような、胡散臭くて、下品で、刹那的で、薄気味悪い、人間の足掻くようなささやかな儚い享楽。

満開の桜はそれだけでも恐ろしいが、それに熱狂する我々日本人も、何か、どこか、決定的に「諦めた」或いは「誤魔化した」人種のような気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

なんてなー。