ボチボチ小作日記

この日記は フィクションです

狭き門、とか悪化、とか、なんですかね。

なんでしょうけどね。

クラウドでスケジュールの更新をチェックするんだが、今気づいた。あら?私来週ずっと

飛・石・連・休!かい(爆)

 

・・・まあいい。

結構人間的な勤務体制なんである。仕事なければ、仕事無いから(爆)

ソレはつまりムラがある、って事ですが。

 

「この仕事、好きなんですか?」と、かつて若い同僚に問われた時、

「この仕事好き。そっちの仕事も好き。前の仕事も好き。違う事やれ、って言われればやる。何でも好き」と答えた気がする。

実習に来た学生に、たまたま彼女の近所らしい母校の話をしたら、「えええええ!?あそこでてこのお仕事ですか!?」と驚愕された。

そう?変?行きがかり上ね。こうなったのよ。

「潰しが利くからいいか」

「ああ、〇〇さんが、潰しが利くって言うの、確かにそうですね」

そう?不器用甚だしいんだけど私。でも確かに潰しは利かす。

 

してみると

「お母さんがいいと思うことでいいですよ」

と言ってのける愚息と、大差ないのかもしれないなー。

 

女性は、結婚とか、出産とか、転居とか、そういったことに自分のキャリアを優先しづらい。いや、別に優先してもいいんだけど、社会的慣習に逆らって、夫や子供に譲歩を迫る、と言う手間が面倒くさい。家のことだって楽しいし、子供の面倒なんて人に見てもらうの勿体無い。自分が一番一緒に居たいんだもん。「忙しい」とか言っちゃって、子育てを避けるお父さんとか、ホント、可愛そうな人種だと思うわ。この期間限定の楽しみをみすみす放棄しちゃうなんてさ~。とか思ったもんである。そう、もうウチは期間過ぎちゃったし。

子供をとるか、仕事を取るか、と言われればそりゃ子供である。そこで悩まなければならないのは、仕事しなけりゃ食えない、と言う立場ゆえであるからして、他に何とかなる方法があるなら何とかしてもらおうかね。と言う程度で生きてきた。実際は、働き続けては来たものの、仕事そのものにあんまり執着はなく、体を壊しては仕事を変え、行った先々でなぜか忙しくなり、また体を壊す、の繰り返し。まあ本来あんまり丈夫ではないのに見た目元気に飛び回るからしょうがないのかも知れないが、もうこんな事は後何年続けられるかわからない。今は結構大事に使ってもらっていると思うので、迷惑掛けないように穴だけはあけない程度に、と思っている半面、もう家に帰っても子供が「お母さーーーん!」と飛び出してくるわけでもない。大雪が降ったり台風が来たりしても「怖いから早く帰ってきて」とか夜勤に出たって寂しがって電話を掛けてくるわけでもない。

家にいたってつまんない。

それよりもっとできることを広げてじっくりもっちり仕事の基盤を固めて行くのも悪くないんじゃないか、とも思っている。やりたい事、と言うか、大きな意味での野望はある。でも、それはナニが何でも自分でやりたいと言うわけではなく、そういう状況に周囲を持って行きたい。状況を変えたい、と言う事である。その努力を誰もしてくれないのなら、私がやろうかね、どっこいしょ。と言った程度のモチベーション。もっと力のある、若い人がやってくれるのが望ましいけれど、それを理解して実践できる人材ってそういないワケで、また仕事として成立させるだけの収益を上げるというのも、当たり前だが大変だ。ミズスマシ的にうろちょろする期間がどうしても必要になる。何年?とか計算しちゃうと「もうねぇ。いやめんどくせ」とか思っちゃうのだが、これまでも「もういいよ」と言いながら続いてしまっているので、そろそろ諦めてこの業界に骨をうずめる覚悟をするべきなのかもねー。とも思っている。

 

主体的に今の仕事を「志望」したことは、考えたら無かった気がする。冷やかし気分で見に行ったらいきなり採用通知が来たのが最初である。

だいたいこの業界にいる人種があんまり肌に合わない。「異人さん」だと思う。未だに。本当は私の方が少数派だろうから「異人」は私の方だろうけど。

しかしその後も見学気分であちこち行くと「もう、決まり」「明日から来て」とその場で捕獲されてばかり。

本当に人材不足なのである。

「好きを仕事に」と言うキャッチコピーに踊らさせれる必要は無い。学校とか資格ビジネスは客商売だから、子供が好むようなものを提供するけれど、良く考えて、趣味は趣味のまま、好き勝手に取り組む方が楽しい事だってあるだろう。

職業に貴賎は無いとはお決まりの文言だけれど、案外本当にそう信じている日本人は少ないのかも知れない、とも思う。誰かと比較してコンプレックスを持つ、と言うのもおかしな話ではあるけれど、何もしないほうが、気に入らない職業に就くよりマシだと思っている若者がいるのだとしたら残念至極。何でもやってみて初めてわかることのほうが多いのだから。

「先進国」という呼び方には疑問があるけれど、まあまあ恵まれた国と言えるでしょう。この国で育って生きている以上、私を含めた半分以上の人が実力を上回る生存条件をあつらえてもらって生きていると考えていいのでは無いでしょうかね。まあ私はちょっとその辺過激なのかもしれないけれど。世の中の余力で生きている。だから世の中の需要にあわせて働く。勿論それだけでは日本経済は成り立たないとは思うので、ニッポンの基幹産業を担う皆さんに是非頑張ってもらいたいのだけれど、主体的に生み出す力がイマヒトツ、と思ったら、必要とされる場所へ行く、呼ばれる方へ行く、と言うのも一つの方法かもしれない。

 

 と、思う。