Sharon Shannon + Mike Scott - A Song Of The Rosy Cross
ブログ操作の敗因の話ではなく
物事は勝ち負けだけではないけれど、勝つか負けるかって分り易い分け方だから、コトの説明をするのに、たとえとして「まあ、負けたってことですが」みたいな使い方はよくする。
物事を二分割する、二手に分けて、あっちとこっちに超合理化してしまう。それは危険ではあるけれど、でも、実は、本当は、やっぱり、厳然たる事実であることも・・・ことによってはあるわけで、物知り顔でヒューマニズムを説いたところで、「まあありがとうやさしいかたね」と表面上のレスポンスはやっぱり優等生のヒューマニズムでも、裏に下に後ろ側に、真っ暗なブラックホールが広がっていることは、
・・・あんまり考えない方がいい。
でも、知らないで抉られ続けている傷は、見るに忍びないモノではある。人には見えない。見せてない。自分でも気づかない。別のことに怒っている振りをしていても、同じ傷を持った人間には見えちゃうんだよね。その持て余してる攻撃性は、本当は自分に向いてるんでしょう。
そこを見つめちゃいけないよ。だってもう、半分気が付いてるでしょ。キレイゴトは言えません。だって私がそうだから。負け組なの。その価値観だと負け組って結論にしかなり得ない。
負けるが勝ちって言葉もあって、それは結局どうなのよ。とは思うけど、レースから降りた時にはさみしい以外の楽しみもあって、それでも人と繋がりたいなら、価値観を別のところに置きなおせば良いんですよ。その気になっちゃえば割と簡単。日本は良い国。そういう点で。
それでも揺り戻しはあるけどさ。そのたびに「考えすぎない」ように遊んでみる。そうやって騙しダマシ、自分を飼いならしながらでも、結構楽しく生きていける。
損得を秤にかけるあの方は
あなたにバラを授けたのに
わたしには十字架しか下さらなかった
あなたが彷徨う小路は
苔生す森の 血ように赤いバラが咲く場所へ
わたしのそれは流れがとどまり澱むところへと続きます
けれど一つの喜びを
私は心に隠し持っています
損得を秤にかけるあの方は
あなたにバラを授けたのに
わたしには十字架しか下さらなかった
W.B.イエイツ「薔薇十字の歌」(テキトー訳)