ボチボチ小作日記

この日記は フィクションです

魔女狩り。というかアミノ酸の話

「旨み」が苦手である。

日本料理は「旨み」の料理だと思うが、出汁の効いたあの旨さが苦手なのだ。

 

奥行きのない、単純な味が好きである。というか、そうでないとダメ。

 

好き嫌いはないし、いわゆる「旨み」の強い料理が全く食べられないということではないので、そういうことは言わないようにしている。人と食事をしたり人に作ってもらったりしたとき気を使われてしまうから。

 

が、人に、というか他人に作ってもらった料理がダメだったことは実はあまりない。多分単発で終わることだし。

ダメなのは外食と、・・・・実家の料理である。

 

もちろん言わないし味は良いと思う。それを食べて育ったんだし。

 

しかしいわゆる「おふくろの味」イコール「湿疹と痙攣の元」

 

なんでか、ダメなんである。

 

 

嫁して姑に料理を習ったのが、ほぼ最初の料理体験だったので、ほかの料理をしていても、ちょっとした味付け火加減の癖なんかは全く持って姑譲り。そしてそうなったらその後、劇的にいろんな不調から解放されたことに気が付いた。

姑も、その息子サンも、偏食である。あまりいろいろなものは食べないのである。味付けも単純で素材の味をダイレクトに感じるものばかり。

私の作る婚家の料理を実母に「おいしいから」と請われて作り方を教えたことがあった。

が、しかし、同じ材料で作っているのに、彼女が作ると私とはまるで違う味になる。

それはいつもの「実家の料理」であって、決して「婚家のあの料理」にはならないのである。

 

実母は料理上手である。

お客など来たときは、料亭か?と思うほどのクオリティで次々こじゃれたものを出してくる。年代の割にハイカラな家庭で育ったので、洋食もばっちりである。

子どもの頃、自分たちは、子どもが大好きな所謂「お子様ランチ」的なものを日常的に家庭で食していた。オムライスとかグラタンとかから揚げ、コーンポタージュ、コロッケ、ケチャップ味のナポリタンに、アミノ酸と脂がたっぷり入ったルーで作ったカレーライス・・・。母は子どもの好むものをいつも色々沢山作ってくれた。

 

その美味しい「おふくろの味」に、緩やかな毒が含まれていると感じるようになったのは、いつごろからだったか。

 

あの世代の人に、「飽食の毒」を語っても、頭で知識としては受け止めても、日々の仕事の中身を大改革、味覚を大改革、なんてできるはずもないのである。しかも旦那さんである我が老父は、私の作ったものは好まない。物足りないのだろう、醤油かけ放題。砂糖盛り放題である。(ヲイ)

 

丈夫な人は、気づかず天寿を全うするだろうし。

どちらが正義かといえば、その程度の毒食っても問題ない丈夫さが正義である。私のような自分で自分の細胞を攻撃するなんて体質の個体は本来、成体になる前に淘汰されるべきものだったのだから。

 

でもきっと、これって文明病である。

世代を下るにつれて、私のような個体が成体となる比率が増えているだろう。そして、もともと丈夫だった個体も、ごく小さいときから飽食の毒にさらされ続けたら、今の我が老父母のような丈夫さは育たないだろう。あの人たちは成長期に飽食はしていない。

 

 

姑の味は私にとっては救いの味であった。その息子サンは非常に食に慎重な人だった。結婚してからは私の作るものしか食べられなかった。が、それはものすごく少数派であって、所謂「男子を落とす」ための料理というのはウチの実家の味を真似ていれば良いんであろうと、いうことぐらいはわかる。相手を自分から離れられなくする料理と、相手の健康を気遣う料理の両立は、まあ大変でしょうな。

 

・・・あれ、老母も知っててやってるのか?